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 三百字小説や、140字小説(Twitter小説/ついのべ)などの面白くて新しい試みが巷間でにぎわっております。私も公表したものからしていないものまでいろいろ書いておりますが、「そんなの小説ではない」という意見があります。

 それについて改めて書いてゆこうと思います。

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それぞれの論拠のどうでもよさ

 「そんなの小説ではない」という側の根拠にあがるものとして以下のようなものがあります。

(1)散文だから
(2)ポエムだから
(3)骨格がないから
(4)自己陶酔だから
(5)内容が薄いから
(6)短いから

 的はずれなのがすぐにわかります。どれも「小説」という概念が内包しているものです。

 これに対して「小説だろ」側も応戦します。

(1)小説は散文だ
(2)小説は詩に対しても自由だ
(3)140字という制限のなかで小説を書いてるのだから当たり前だ
(4)これにかぎらず創作は自己陶酔だ
(5)いいものと出会ってないの可哀想。感動するものもある
(6)ヘミングウェイには6wordsの小説がある。字数の問題ではない

 まあ、的はずれな指摘に対してまともに応戦しようと思うと的はずれになってしまいます。これは仕方のないことです。不毛な争いなのですね。

 ですが、この言い争いによって、それぞれの立場のひとが「小説」をどのように定義したいかが見えてきます。このあたりは有益な感じもありますね。

だれも140字小説を背負わなくてよいのが140字小説

 一般に言われる「小説家」は、否が応でも小説というものを負わされます。文芸的な模範解答を意識しながらも、じぶんのなかで小説とはなにか、なぜじぶんの小説が小説なのか、という問いを宿命的に負わされています。

 その一方で、140字小説家は、そんなもの負わなくてよいのです。そもそも問うことすら念頭にないのです。問えば問うほど書きにくくなってしまうため、やんわり無視しながら創作するのです。

 だれだって名刺をつくりながら、これは名刺なのだろうかなんて考えないし、考え出したら名刺をつくれません。アクセサリーをつけるときに、これはほんとうにアクセサリーと呼んでいいのかと考えたら身につけられません。

 140字小説が名刺的・アクセサリー的である以上、だれも問わないようになっているのです。だれにも背負えないようになっているのです。(否定文で書き進めていますが、ひとつの文芸的な試みとしてとても素晴らしいことだと思います)

 余談ですが、その不能性に対して仕掛けたがっているのが雨谷ハルというプレイヤーで、私はとても応援しています。

なぜ小説ではない気がしてしまうのか

 空間的な描写が足りないのか、濃厚なストーリーがないからなのか、起承転結のメリハリを求めているのか、具体的な人物・土地が出てこないからなのか、過度な抽象化の排除をしたいからなのか、いえ、それらはどれも副次的なものでしかありません。

 140字小説をつくっている側でさえ、これは小説なのかと疑ってしまうものです。でもそれはなぜでしょう。じぶんで書いているのに、そう思えなくなる瞬間が訪れるのです。

 それは、SNS特有の、よく思われたい、よく見られたい、という気持ちが発動するからだと思います。

 名刺的な機能を担っている140字小説は、名刺だからこそ、装うことが前提にあります。装って、取り繕って、見栄えをよくして、読者の「前提」を生かしてツイッタジェニックな文章をつくる意識が組み込まれているのです。

 「前提(みんなにわかりきっていること)をどうやって見せるか」というショーへの強制参加が、どうしても小説っぽさを腐らせるのです。べつに本人が言っちゃえば小説はなんだって小説になるのに、そこに躊躇する気持ちが生じるのだと思います。

 ちなみに「四コマ漫画」も、おなじように前提のショーなので、四コマ漫画は漫画なのだろうかという問いに弱いです。歌詞も前提のショーなので、歌詞は詩(詞)なのだろうかという問いに弱いです。(本人がそう言っちゃえばいいだけなのですが)

それでも答えに近づきたいひと

 140字小説が小説なのか本気で問いはじめると書けなくなるので、書きたいなら問わないほうがいいのですが、問いたいなら問うしかありません。中地半端にしておくよりよいと私は思います。

 その一助として、次の問いが最も重要であると言いたいです:「具体的な人物を書けないし、具体的な土地を書けないし、時代も書けなけないし、汚いものの美しさも書けないし、いくつもの困難を一気に解決するようなコンセプチュアルなアイデアも書けないし、にんげんというものを書けないし、にんげんというものの重大なテーマを取り扱えないし、空間的な描写ができないし、山場を作れないし、ついつい取り繕ってしまうし、オチをキレイにして誤魔化してしまうし、未完なのに完成を装ってしまうし、でも、そんなものを『小説』とよぶために、じぶんはなにを書かなければいけないのか」

 散文だからとか、ポエムだからとか、骨格がないとか、短いとか、そういうのはどうでもいいし、「中には感動するのもあるよ」とか、「いい作品に出会ってないんだね」とか、「ヘミングウェイは~」とか、ほんとうにどうでもいいです。

 その140字を小説と呼ぶには、じぶんは、なにを書くのか――そこを問い込んでみるとよいのではないかと思います。


初出:『140字小説は「小説ではない」側として考えること――「そんなものを小説とよぶためにじぶんは何を書かなければならないのか」を自問すること』(享年オムライス、それまでのうとうと)16/01/18
画像:freestocks.org