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 「リンゴ」と「apple」は対応関係になっている、と言えるでしょうか。

 和訳にせよ英訳にせよ、そう訳す外ありません。ただ、それでよいかどうかという話をあえてするならば、よくないでしょう。

 ことばには、文化的な射程距離があります。それがそのまま「訳せない理由」になるのですが。

 たとえば、英語には”apple of the earth”という表現があって、これはどんな意味でしょう。私は「地球のリンゴ、とは……?」となりました。フランス語を学んでいるかたはピンときたかもしれません。

 実は「ジャガイモ」のことなのです。あまりに珍奇な答えなので、さっさと”Online Etymology Dictionary”を見てまいりましょう。

Old English æppel “apple; any kind of fruit; fruit in general,” from Proto-Germanic *ap(a)laz (source also of Old Saxon, Old Frisian, Dutch appel, Old Norse eple, Old High German apful, German Apfel), from PIE *ab(e)l- “apple” (source also of Gaulish avallo “fruit;” Old Irish ubull, Lithuanian obuolys, Old Church Slavonic jabloko “apple”), but the exact relation and original sense of these is uncertain (compare melon). In Middle English and as late as 17c., it was a generic term for all fruit other than berries but including nuts (such as Old English fingeræppla “dates,” literally “finger-apples;” Middle English appel of paradis “banana,” c. 1400). Hence its grafting onto the unnamed “fruit of the forbidden tree” in Genesis. Cucumbers, in one Old English work, are eorþæppla, literally “earth-apples” (compare French pomme de terre “potato,” literally “earth-apple;” see also melon). French pomme is from Latin pomum “apple; fruit” (see Pomona).

 簡単に言えば、「apple」というのはゲルマン祖語で「果実全般」を意味していた、というのです。

 驚きです。”dates”(ナツメヤシ)のことを「finger-apples」と呼んだり、”banana”のことを「apple of paradise」と呼んだりする、という例示があがっておりますね。

 ほかにもリンゴの学名となっているラテン語の”malus”は、「邪悪な」という意味の形容詞にもなります。旧約聖書『創世記』ではダブルミーニングを用いて「邪悪=リンゴ」という意味になり、西欧では「禁断の果実」と呼ばれております。

 イブ(とアダム)が蛇にそそのかされて食べてしまった善悪に関する知識の果実で、それを食べた瞬間、裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉っぱで身体を隠したという話なのですが、そのとき喉に詰まらせたリンゴ(=邪悪)、という意味で、喉ぼとけのことを”Adam’s Apple”と言います。

 このように、英語には”apple”に関する文化的な背景がまだまだあります。発話の直接的な意味としては出てこなくとも、”apple”の背後にはたくさんのイメージ、たくさんの選択肢がうごめいているということです。

 具体例をまだまだ出すならば、私はこれを書きながらどうしてもピコ太郎さん(PPAP:Pen-Pineapple-Apple-Pen)のイメージを拭い去ることはできませんし、なんならこれを”iPhone”(”Apple”社製品)で書いているわけです。

 ニューヨークは売春史から”Big Apple”と呼ばれているし、マイケルジャクソンさんの”human nature”にも「If this town is just an apple, then let me take a bite」ってあったなあとか、(合衆国の古いならわしで)新任に教師にリンゴを贈る習慣があるし、おべんちゃらがうまいひとを”apple polisher”と称するし、めっちゃアメリカっぽいことを比較構文で”be as American as an apple pie”と表現できます。

 具体例ばかりになってしまいましたが、ことばの背後には大小さまざまなイメージ・選択肢・想定される射程があるということです。バイリンガルもよいのですが、バイカルチュラルであることも翻訳者に求められることではないかと思います(西山千・松本道弘『同時通訳おもしろ話』)

 6万語を暗記することも大事ですし、英検1級レベルになることも大事なことなのですが、翻訳者ならば、ことばの背後にあるものを意識できるようになりたいと思います。

 つまり「訳すことのできない背後の文化」「訳出することになっていないことばの奥ゆき」のようなものを大切にしていけたらと願います。これがトランスレーションだ、これがローカライゼーションだ、じぶんの訳文で翻訳を語れるようになれるよう、ひび精進しております。

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初出:「バイリンガルかつバイカルチュアルになること――ことばの背後にある無数の選択肢」(2017.05.23)
画像:Doriana Dream