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 読書感想文はどうしてつまらないのでしょうか。どうして退屈で、どうして嫌になってしまうのでしょう。

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読書感想文とは

書くことによって考えを深められるからです。読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。また、どんなに強く心を動かされても、時がたてばその記憶は薄れてしまいます。読書感想文は自分自身の記録です。読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができるのです。――青少年全国読書感動文コンクールより

 読書感想文というのは、考えること、記録すること、というふうに語られています。これだけ見れば、読書感動文というのは「善い」ものに思えますが、どうしてつまらなくて、嫌になってしまうのでしょうか。

読書感動文という読みかた

 読書感動文が嫌になるのは、読ませかたに問題があるからです。読書感想文を書くということは、本に書かれているテクストをどこまでも尊重respectすることになっています。青少年全国読書感想文コンクールとなれば、その読みかたは尊重のみをメインとしていると言ってよいでしょう。

 しかもただ尊重するだけではありません。子どもに「今の自分を否定(自虐)し、より良い人間になること(改心)」を求めるようになってしまっているのです。入賞作品を読んでみれば、だれでもすぐにわかります。

 読書感想文は、自虐と改心を一組にすることによって、感想文という名の懺悔文を書かせる仕組みになっているのです。

読書感想文は二次創作

 かつて阿部昭さんは、〈課題図書〉という概念を名指して、”一書を「指定」したり「必読」させたりするのは文化へのブジョクである“と抵抗しました(七三年八月二〇日、読売新聞)。

 作者にとってのテーマを探すことは、読書体験のなかでどうでもいいことです。じぶんにとっての真のテーマを探すことが大事だと言いたいのです。あらすじをなぞることでもなく、主人公とじぶんを比較して自虐(改心)することでもなく、作品のテーマや根拠を見つけることでもなく、その作品が「じぶんのなかでどのような位置づけになったのか」という読書体験について、じぶんなりの着眼、じぶんなりの思想、じぶんなりの言い回しで”創作”する必要があります。つまり、読書感想文というのは、原文を利用した懺悔でなく、二次創作物そのものなのです。

 自虐も改心も、読書体験には必要ありません。

レビューするということ

 レビューというのは、「道徳的な読者(いい子)になること」ではなく、むしろ「作者の思惑を越えて面白がる読者になること」に近いでしょう。原文を読み、そこでなにかに触れ、翻弄されきった体験のバイブスを、今度は「君も読んでみるといいよ」と紹介しようとするのです。原文のテクストから受け取った「面白み」を、じぶんというフィルターを通して訳しなおす行為だといえます。

 勝ち負けというものはありませんが、もしあるとすれば、その読書感想文を読んだひと(つまり読者の読者)が、その本を読んでみようかなと思ったら勝ちなのです。もちろんそれは「作品のあらすじや主人公のすごさ+教訓と反省すべきこと」を伝える道徳的なキュレーションではなく、「作品がどう評されているかは知らないが、俺はこんなふうに面白いと思ったよ」という面白さを”尊重した”感想を伝えることによって、「へえそれなら俺も読んでみようかな」と思わせるところにあります。

 善きレビューというのは、単なるじぶん語りに留まりません。それさえも超越してゆくのです。考える読書というのは、反省する読書でもなければ、懺悔する読書でもないと切に願います。

 

 入賞作品集です。

 

 テクニカルなことはあまり書いてありませんが、文章に向き合える良書です。講義形式で読みやすいのでおすすめ。


初出:14/09/10「読書感想文とは何か」
画像:Thought Catalog