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 「ありのまま」というのは、この時代のキーワードのようになっております。しかし、大事なことばだからといって大事に使っているかといえば、そうでもないところがあるでしょう。

 ここでは、「ありのまま」の意味を考えてゆきたいと思います。むずかしい内容になるので、先に要点をまとめておきます。

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要点まとめ

NG:ありのままの姿=元の姿に戻ること→人の目があるかぎり無理
OK:”Let It Go”=水に流す=元の姿や形にこだわらない→こちらが大事!

「let it go」と「ありのまま」は反対の意味なのに、なぜ受け容れられているのか?
90年代から流行している「癒やし」というキーワードに乗っかっているから

本来の意味での「let it go」はなぜ重要なのか?
「もともとの自由な私」にこだわらず、心が折れないことや回復することを重視している実践的な発想だから

癒やしを受け取り慣れる

 『アナと雪の女王』(原題は”Frozen”)の主題歌が流行る前にも後にも、「ありのままのじぶん」を大事にしようという風潮がありました。

 特に90年代には歌詞など多くの商業的なメッセージに「ありのまま」が乱用され、商業化された「癒やし」にあふれていました。このようなメッセージに触れ続けてきたひとたちは、もちろん私をふくめ、商業が与える癒やしを受け取りなれており、そこに疑問をいだくことはなくなったのです。

 そして、ここで新たに問題となるのは、癒やしのパッケージに入れてしまえば、「Let it go」の訳語としてはむしろ反対の部分にある「ありのままの姿を見せる」がすんなり受け取られてしまうということです。

「ありのままの姿」と「let it go」のあいだに生じたズレ

 既に森田一義が「ヨルタモリ」内で指摘しているように、「ありのままの姿」というのはあり得ません。自己像の意識化は、他者の想定を前提としています。つまり、「だれか」に見せる姿を取り繕わないというのは無理な話なのです。

 それに対して”Let it go“というのは、他者がどうといった話ではありません。自己像がどうしたという話でもありません。平易なことばで言い換えれば、「その話もうよくないですか」という通過申請なのです。別の表現としては「水に流す」でもいいでしょうし、「なかったことにする」という言いかたでもニュアンスが伝わります。

 レリゴーという英語は、流されることを好意的に了解する合図なのです。流せば楽になれる。なかったことにすれば、そこからリスタートできる。「既に起こってしまったこと」にこだわらないのです。

ありのまま=原状なき回復!

 「ありのまま」ということばには、どうしても「わたしの始点」(原初・原状)が含まれてしまいます。

 つまり、《最初にあったはずの私》を強く意識することにつながってゆきます。でもそうじゃありません。「Let it go」の本当の意味は、むしろ原状(最初の状態)に対して無頓着なのです。むしろ「どのようにしたら心がオレないか」というレジリエンスのみを気にしています。

 どうやったら心が折れないのか――その心の折れなさはどうやったら保てるのか、と考えます。さっさと次の話をしませんか、という通過の自問自答によって、心の折れなさを保持しようとしているのです。

 つまり「ありのまま」というのは、「私に戻ろう」という自己始点へのこだわりなんかではなく、原状なき回復――心が折れる前に次へ進むことへの特化/善悪や損得を無視してとにかく出来事を通過させること――なのです。

 かつて村上春樹が「ホテル」という比喩で語ったやり過ごしも、「ありのまま」に含まれます(『ダンス・ダンス・ダンス』)。村上春樹が語ったことは、どんな出来事も「一泊」しかさせないこと、なんなら「素泊まり」にして全くもてなさないこと。「ありのままの姿」なんてどうでもいい。原状(元の私)がどういった姿だったかなんて知ったことではない。

 ありのままとか、あるがままとか、それは一種のスピリチュアルな表現です。その意味を本当に理解したいときは、むしろ英語の「Let it go」を思い出すべきだと思います。原状への回帰(元の私の姿に戻ること)ではなく、原状なき回復(元の姿がどんなだったかよりもいま心が折れないように流すこと)。心の折れなさを保持するやり過ごしとして、レジリエンスの文脈で再認識されるとよいのではないかと思います。


画像:Mike Holdord