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 「受験に必要な精神力」というのはなんでしょうか。なんとなく精神力が要るのはわかるけれど、それが具体的になんのことかわからない受験生や親御さんが数多くいるかと思います。この記事では、「受験に必要な精神力」に踏み込んでゆきます。

 塾講師をやっていると、いろいろな合否と立ち会うことになります。そのなかでもすこしミステリアスなのが、第一志望に受かって、その他の滑り止めに落ちる子がいることです。イメージ通りに合格する子は、そこまで大多数というわけではなく、じわじわ「本命が受かってるからどうでもいいけど、そこの滑り止めちゃっかり落ちてたのね」という生徒がいます。

 もちろん理由を分析すればいろいろあるでしょう。気が抜けていたとか、テスト慣れしていなかったとか、中日(なかび)がなくて疲れていたとか、問題傾向がわからなかったとか、前の席のやつに気を取られていたとか、当日の朝に親と喧嘩したとか、体調不良だったとか、マークシートの書くところをまちがえたとか。

 ただ、そのなかでも「学力としては十分なのに、第一志望に合格できない生徒」には、ある種、傾向のようなものがみられました。それを抽象的に表現すると「精神力不足」となります。繰り返しになりますが、この「精神力」という概念を、「合格」「本番」「根性」「期待」「呪詛」という五つの概念を通して考え直し、改めて受験生に必要なメンタルを問い直してゆきます。

※ここでは「大学受験」として話が進みますが、どの受験にも当てはまることなので高汚行受験の場合は「高校受験」に、オーディションなら「オーディション」に読み替えてくださいませ。

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合格の精神力:「それは私に相応しく、私もまたそれに相応しい」

 出された問題が解ければ「合格」……というわけではありません。推理小説ではありませんが、「出された問題にすべて正解したのに合格ではない」条件を考えてみてください。

 いろいろあると思いますが、たとえば、「代理受験」が禁止されていた場合に替え玉受験をしたら不合格です。受験後に高校中退したらどうでしょう。犯罪で逮捕されるとか、カンニングが発覚するとか、あらぬ不正の疑いをかけられるとか、学校側の手続きミス(同姓同名の入れ違い)とか、なんらかの形で取り消されるケースが考えられます。

 テストで全問正解しようが「相応しくない」ひとは合格にならない、ということが大事です。大前提です。大前提すぎて、ときどき見失います。

 合格というのは、相応しいということでしかありません。とてもドライに響きますが、合格したいなら相応しくならなければなりません。「相応しさ」を手に入れたかどうか、何度でも「検品」する必要があります。つまり「第二の長澤まさみがほしい!」と思っているタレント事務所に、「あの~キムタクのモノマネができるんですけど~」とお邪魔してもしょうがない、ということです。

 そして、相応しさというのは、双方向的な問題です。

 じぶんが大学の要求に相応しいかだけではなく、大学がじぶんの要求に相応しいかどうかも問い詰めなければなりません。

本番の精神力:「本番はむしろ最後の仕上げでしかない」 

 「じぶんはこの大学に相応しいが、この大学はじぶんに相応しくない」というちぐはぐな事実に気づかず志望校を決めてしまう生徒がいます。先生が口をそろえて「その大学にほんとうに行きたいのか」と問いただすのは、この部分をおそろかにしないためでしょう。

 内部進学生と外部入学生の比率、男女比、大学の教育理念、校風、ブランド、設立団体の公私、(私立なら)創始者と宗教、履修のシステム、ゼミの種類や質、通いやすさ、学食のうまさ、大学周辺の街並み、治安・事件発生率、悪徳サークルへの対処、卒業生の進路、学閥、授業料、奨学金のバリエーション、耐震工事、改修工事……これはあくまで客観的なもので、これ以上に、「なんか好き」とか「ここなら学べる気がする」という直観めいたものもあるでしょう。

 さまざまな条件をじぶんに照らし合わせます。もちろん完璧な大学というのはないかもしれませんが、第一志望に「見合っている/相応しい」大学はどこか、と考えて、決めるのです。

 その照合作業があるのとないのでは、「本番」に対する身の入りかたが変わります。照合済みであれば、「最後にテストをしっかりやる」だけですが、照合がなければ「ここで決めるんだ」と気負いがちです。

 本番というのは、なにかを覚悟する場所ではなく、覚悟してきたことを最終チェックする場所です。いわゆる「本番に弱い」というのは、本番で決めるものだと思い込んでいるひとの準備不足や怠惰だといえるでしょう。本番で相応しさをかき集めようとしても空回りするだけなので、余裕をもって本番入りしましょう。

根性の精神力:「覚悟を決めたときの熱量を思い出すこと」

 受験の精神力といえば、ハチマキでおなじみ「根性」です。ただ、ここでの根性はイメージとすこしことなるかもしれません。

 「やるぞ!」という結論を導くことには変わりないのですが、根性というのは語源的に考えると仏教用語ですから、「もともとがどんなであるか」という意味になります。

 ただそれでは具体性がないので、受験の根性と言えば、この大学を受験するぞ(出願するぞ)と腹を決めたときの、そのときの熱意や熱量がどんなであるか、というぐらいの意味です。

 つまり、やるぞと決めたときの「やるぞ」を何度でもおなじように再現できること、あるいは思い出せることを「根性」と言います。

期待の精神力:「あらゆる期待をお世辞化する」

 親、親族、学校の先生、塾の先生、バイト先の店長、ともだち、恋人、フォロワー、ラジオのパーソナリティ、いろいろなひとが受験生に期待します。

 「あなたならこれぐらいの大学に~」とか、「この大学ぐらいは入らないとな」とか、「あなたが慶應ボーイになってくれたら好きになる」とか。あらゆる期待は、相応しさを晦まします。じぶんのイメージを崩すことがあります。

 もちろん期待してもらえるのはうれしいことですから、期待を目の敵にするのではなく、自動的に「お世辞」にする精神力を持つべきです。そうすれば、期待の重圧で心を砕くことなく、たくましいレジリエンスでじぶんの勉強に集中することができるでしょう。

 それでも事情によっては「期待に応える」というアクションが必要になることもあります。そういうときは、要工夫。高度な立ち回りが求められます。だれかに相談してみるもよし、私に相談するもよし、ひとりで抱え込まないことです。

呪詛の精神力:「あなたもわたしも落ちろ」

 人を呪わば穴二つ、というように、どうも人間の脳というのは「そのことばがだれに向けられたのか」わからないことがあるそうです。

 つまり、「おまえなんて落ちろ」と言ったとき、そのことばが相手に向けられたのか、じぶんじしんに向けられたのかわからない、ということがあります。

 息が詰まってくると他のひとの悪口を言いたくなることもありますが、そこはうまいぐあいに回避したいです。たとえば「あいつの単語帳、ポテチで汚れろ」とか。まあ、それぐらいに。

 

 受験というのは、ただ勉強してればいいわけではありません。大事なことがたくさんあります。それは結果として現れたり、結果としては現れなかったりいろいろですが、大学名だけに気を取られていると大切なことを見失うかとしれません。よく考えながら、うかつに受験しないようにしたいですね。

 

初出:『受験生が戦うべき2つのラスボス』(かこけんvol.3)2014年11月23日