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 BuzzFeedが『はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」』という記事を公開し、話題になりました。読めば読むほどしんどい体験で、ひどく大変だったと感じます。

 その一方で、記事タイトルを見たときから「彼女に馬鹿にされてきた童貞たちは、さぞ傷ついただろうな」とも思っていました。

 改めて「告発」の違和感から、告発の番外の意味について新たに考えていければと思います。殴り書きなので、稚拙な部分はご指摘いただければと思います。

※この記事は、だれが「悪者」とか、だれが「被害者」といった野次馬的な裁きや断罪には興味のない記事です。そういうのが読みたいかたは、ツイッターなどで検索することをお勧めしたします。

 だらだら書いてしまったので、先にまとめておきます。この八つが、この記事の言いたいことです。特に慎重な根拠は準備していません。議論のたたき台にしていただければと願います。

①被害者が泣き寝入りしないで済む仕組みは大事。
②共感と啓発によって得られる気づきは大事。
③告発がエンタメ化している→「大したことないや」につながる。
④潔白であることのマウント合戦になるため。
⑤潔白ではないひとの話は聞かない、という教育的な価値観があるため。
⑥「共感できる/できない(胸が痛む/痛まない)」という新たな差別。
⑦モラルによって改善できるかもしれない、という仮説(というか予断)。
⑧モラルというのは、保身によって自己言及を編集しないこと。

 ずっと「#metoo」という試みに違和感がありました。狙い自体はとてもよいと思います。権力(力関係)に負けて泣き寝入りするのではなく、みんなで告発しようという精神も認められるものです。すばらしいです。

 ただ、告発者本人の意図にかかわらず、どうしても「仕返し」に見えてしまうところがあります。それは「ストーリー」を重視する部分にあると考えられます。

 共感することで告発の輪(バトン)がつながるためストーリーは欠かせません。はあちゅうさんも、#metooのストーリーに背中を押されたし、この活動に協力したいと言っています。

 つまり「じぶんの動かせなかったものに立ち向かってゆく、泣き寝入り世界の自浄を被害者の立場からパブリックにする」という構造があります。今回のBuzzFeedのような記事構成でさえも、やはりどこか仕返しのように映ってしまっています。はあちゅうさんも細心の注意を払っていたようですが、ストーリーを重視する以上は逃れられないところでしょう。

 このストーリーというのはすこし厄介で、共感を先立たせているため「私の寄り添える被害者(被害感情)」と「それ以外」をうっすら(あるいははっきり)と区別してしまいます。

 電通時代に受けたパワハラ・セクハラの経験があるため、はあちゅうさんは「#metoo」のようなストーリーに共感できます。その一方で、どうも「非モテ」には共感できないようです。人間は完璧ではないですからね。

 パワハラ・セクハラ告発後に、ネットで「はあちゅうも童貞を差別している」と言われ、形式的に謝罪でもやるのかと思っていたら、「童貞いじり」という表現でじぶんの差別を軽んじていました。「じぶんは悪くない」という保身が大事で、童貞(非モテ)の被害ストーリーには共感できないようです。ここが私の違和感です。

けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています。――前掲、はあちゅうさんの発言

 はあちゅうさんの意識は美しいです。世界の自浄は、ストーリーの動機になりえます。ただ、人間は完璧ではありません。じぶんもそうだし、他人もそうです。じぶんだって告発されていないだけで、どこかで差別をしています。被害者を生んでいます。

 「みんなで」と言っていますが、非モテや童貞は、はあちゅうさんの「みんな」から滑り落ちています。流行り言葉で言えば「排除」でしょうか。キレイゴトになってしまうのは、とても惜しいです。

 だからこそ、私は、告発にはモラル(と思しきもの)が必要だと思います。

もう一つ、心の痛むことがありました。
とある女性がSNSでこの記事を取り上げ、
ご自身のセクハラ被害体験について触れていたのですが

コメント欄はその女性の、
普段のSNSでの気軽な発言、被害とは全く関係ない言動を
咎める内容でした。

被害者であるなら品行方正を貫き、常に被害者としてだけ生きろ、
という認識のある方がいるとしたら残念に思います。
――はあちゅうさんのLINEブログより

 いちいち引用するのは無粋かもしれませんが、これは、はあちゅうさんの「私の寄り添いたい被害者とそれ以外」がわかりやすく表れているところです。彼女の表現で「私の心の痛む被害者とそれ以外」としてもよいです。

 何度も言いますが、人間そういうものです。差別に敏感な部分と、差別に鈍感な部分があります。だれかの立場に特別に肩入れして生きるものです。私もそうです。あなたもそうです。それを完璧に平等にしようと思えば、平等の憂鬱に陥ります。

 告発というのは、相手の大きな特権を無効化することです。それにはとても大きなエネルギーが要ります。#metooならびにはあちゅうさんも、大変だったと思います。ただ、欲を言えば、そこにモラル(保身目的ではない自己言及)があってほしいと思うのです。

 極論を言ってしまえば、モラルのない告発は、新たな分断と差別を生じるものだと思います。

 もちろん告発の成立条件に「モラル」は入っていません。「じぶんも普段から差別していますが、あなたの差別を告発します」では、なんとなく格好がつかないこともわかります。

 だけど、そのモラルを無視して、それを保身に変換しながら告発するのは、どこかちがう気もします(サムワンの告発自体が泣き寝入り解消のために大事なのは理解しています)。

 記事内外での岸さんの保身もすさまじかったですが、告発者であるはあちゅうさんの保身もたくさんあります。それはべつにいいと思います。悪いことだとは言いません。岸さんにもはあちゅうさんにも、明日の生活があります。私にもあります。あなたにもあります。

 私の関心は「なぜ保身してしまうのか」です。断罪することではありません。

 それは告発を支えている価値観なのではないかと思っています。告発には「身の潔白」が必要です。なぜなら潔白ではないひとの話を聞きたくないからだと思います。だから今回のBuzzFeedのような形式だと、潔白合戦になるんですね。分かりやすく言えば、潔白マウントバトルです。

 はあちゅうさん自身、勝ち負けなんか望んでいないはずなのに、保身に走ろうと思うほど「相手よりも潔白であることの担保」を求めてしまいます。はあちゅうさんのラインブログを読めば、潔白要素をブログ風に出しているのがわかるでしょう。

 「電通というちょっと変わった職場の先輩後輩の関係問題」に落とし込んで潔白を保とうする岸さんと、「実名告発、共感できるストーリー、非モテは差別してない(あくまでいじり)、圧力は受けてない、今後は被害者でいるつもりはない(ブレるよという予防線)」として今後の活動を見通しながら潔白を保つはあちゅうさん。

 これは仕方ありません。私たちが「潔白なひとの話を聞く」よう教育されている以上、こうなってしまうのです。「悪い奴の言っていることに耳を貸すな」という偏った正義論をなんとなく信じて生きているのです。

 保身競争になった時点で、被害者と加害者がここまではっきりしているのに、だれもこの問題を引き受けられないのです。

 とても大事な記事で、とても大事な価値観なのに、どうしても茶番となってしまうのです。ふざけているひとなんていないのに、大真面目なのに、被告者も被害者も、問題の引き受けかたがわからなくなっていて、「なあなあ」な印象で終わってしまう。その騒ぎの裏で新たに傷ついている非モテの被害者がいるのに、〈そんなところ〉まで手が延びない。岸にもはあちゅうにもBuzzFeedにも、取り扱えない。

 このような「バトンタッチ制」の告発劇では、先につながっていかない気がします。「さあ次はだれが告発するんだ~!」という茶番を促進するための告発ではなかったはずなのに、引き受けかたがわからなくてエンタメ化してしまって、センセーショナルな風は吹かせたけど、最終的に「大したことなかったな」という印象を抱かれるのは、とてももったいない気がします。

 私の主張していることは俯瞰野郎の無謬主義かもしれませんが、「保身感情によって編集された自己言及しか明かされないストーリー的な告発の茶番化」には、すくなくないひとが違和感を抱いていることだと思います。

 もう一度、まとめます。

①被害者が泣き寝入りしないで済む仕組みは大事。
②共感と啓発によって得られる気づきは大事。
③告発がエンタメ化している→「大したことないや」につながる。
④潔白であることのマウント合戦になるため。
⑤潔白ではないひとの話は聞かない、という教育的な価値観があるため。
⑥「共感できる/できない(胸が痛む/痛まない)」という新たな差別。
⑦モラルによって改善できるかもしれない、という仮説(というか予断)。
⑧モラルというのは、保身によって自己言及を編集しないこと。

 これが新しい議論のたたき台になって、告発プレイヤーにもよい影響が出ることを願っております。


画像:Mihai Surdu