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 「日大アメフト事件」について、リアルで悪口を言うのはリスキーだというつぶやきがありました。日大といえば、かつては駅弁大学と揶揄されたほど大規模な拡大を見せている私大です。

 日大は、明治時代に欧米諸国の「法律」という概念を学習して輸入する私立学校としてはじまり、1960年代前後の高度経済成長期の私大ニーズ(大卒への需要が急騰したけれど公立大学では不足していた)、70年代の第二次ベビーブーム、80年代の地方拡大を経て、至るところで名前を見かける「マンモス大学」として認識されております。

※このあたりの私大拡大の時代的な分析は天野郁夫さんが詳しいので、興味のあるかたは著書を手に入れみてくださいませ。

 そんな「日大」はどこにでも関係者がいるので悪く言うのはリスキーだ、というツイートが多く賛同されました。この部分はまったく正しい処世術(=弱者のサバイバル)です。

 これをタイムリーなアドバイスで終わらせないとすれば、以下のような教訓になるでしょうか。

 そもそも、他人のコミュニティを悪しざまに言うのはリスキーである

 いわゆる「日大関係者」が周りにいるから悪口がリスキーなのではなく、〈関係者〉という概念が関係図の圏外から不意打ちで訪れるからリスキーなのです。

 つまり、まったく関係のなかったひとでも、不快感、正義感、義憤、判官びいきなどで〈関係者化〉することがあります。悪口のしっぺ返しを怖れないツワモノであれば処世術は不要ですがね。

 「私は日大の悪口を気にしないが、日大の関係者は気にするだろう」と考えて伝播に精を出して自己広告化する独善的なひともいます。情報をそこでとどめておけないオーバーフロー型の人間です。〈風評の萌芽〉をきっちり風評に発展させないと気がすまない強迫性エバンジェリストです。

 そもそも、悪口でさえなかったものが強迫性エバンジェリストたちによって曲解されて伝わっていることもあります。ほんとうによくあります。そういうやりかたでしか「関係(Aさん – じぶん – Bさん)」を築いたり保ったりできないひとがいるので、関係者の数は関係の欲望の数だと言えるかもしれませんね。

 じぶんにとっては害悪なコミュニティでも、そのコミュニティに関係したいと思っているひとがいる以上、社会的な場面ではことばに気をつけなければいけませんね。

 愚痴や悪口というのは、社会的な関係維持の低クオリティなアプローチです。できるだけ〈その人の先にいる人〉の可能性が途切れている関係でやるといいのでは、と思います。匿名通話アプリとか、人生相談とか、NDAを結んだ閉じた関係とか、人生単位で利害関係が一致しているパートナーとか。

 すくなくとも「墓場まで持っていく」とか「口が堅い」とかは、関係構築の導入作法でしかないと考えておくといいのではないかと思います。

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画像:freestocks.org