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 私のネガティブな記憶のひとつに、〈好きなものを語れなかったとき〉の映像があります。べつにだれかに邪魔されたわけではないのに、「ここでじぶんの好きなものの話をしたい!」と思っても不発になってしまった経験のことです。

 もちろんタイミングがなかった、という言い訳を挿入することもできるのですが、もっと別のことなんですね。打ち上げなどの会合会食で、話が盛り上がってきて、それぞれがじぶんの好きなものの話を熱狂的にしていて、「じぶんも……!」と意気込んだものの、不発になってしまうのです。

 そのたびそのたび、大して考えもせず、「ほんとうは好きじゃないのかもしれない」とか「あまりに好きすぎるからかな」と思い込んでいたのですが、それだと自尊心が結構やられて気持ちがひねくれてゆくので、じぶんを守るためにあらためて考えてみました。

 あらためて考えてみると、「ほんとうは~」とか「あまりに~」というのがインスタントな言い訳だったとわかりました。

 別の原因を求めるために、今度は「好きなものを語れているひと」を観察します。先月は立て続けにチャンスがあって、聞き手としての根性を全開にして聞き入っていました。すると〈熱狂的な話し手〉というのは、どのひとも〈よく覚えている〉ことがわかりました。わかったというのは傲慢なので、そんな感じの共通点があるような気がしました、としておきます。

 ここで言う「覚えている」というのは、「印象が整理されている」と言い換えても構いません。話の内容は――熱狂しているから当然ですが――めちゃくちゃなんですけれど、とあるシーン、とある歌詞、とある設定、とある撮影技法、とある演技、とあるセリフ、そういったものに対するじぶんの印象を整理できている状態なんです。

 それはもちろん「何度もその話をしているから」というのが有力でしょうが、そのほかに〈記憶を頼りにしなければうまく語れないもの〉への嗜好が強かった気もします。

 つまり、映画、テレビ、音楽などなど、それを語るときにそれを持ってくる(再現する)のが不可能なものを好むひとほど、日ごろから鍛えられていて、印象を整理するのがうまいのかもしれないと思いました。

 試しに最近観た『君の名は。』『この世界の片隅に』『ドキュメンタル』あたりの印象を職場の壁に向かって語ってみたら、思っていた以上にすんなりです。なかなか自尊心が守られました。

 ほかに印象が整理されやすいジャンルというのはなんでしょう。(再現できるかどうかは別として)レビューの数という基準だけで見ていくと、化粧品とか、ラーメンとか、観光地とか、宿泊施設とか、アプリとか、自動車とか、文房具とかでしょうか。このあたりで印象を整理する練習ができる気がします。

 逆に「山手線って乗ってみてどうだった?」とか、「サイゼリヤのドリンクバーってどう?」とか、「母親のどこが嫌いなの?」とか、そのあたりは私にとって答えにくいです。ひとによってさまざまでしょうね。

 もちろんこの先にあるのは「じゃあどうやって印象整理ができるようになるのか」ですが、そこはまだよくわかっていません。

 ただ、すくなくとも、ほんとうは好きじゃないとかあまりに好きすぎるといった「度合」ではなく、インプレッションをどれだけ整理できているかの「具合」の問題なのではないかと考えることで、かなり楽になりました。

 「語れなかった」とか「ほんとうは好きじゃないのかも」と自尊心を落とすまえに、具合の問題なのかもしれないと思ってみるとよいかもしれません、という処方箋でした。


画像:Alex Guillaume