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 ネット論破について考える機会があったので、すこしだけ考えてみました。ご参考になるところがあれば、日常生活でお使いください。

 まず最初に断っておかなければならないことは、論破自体が即座に「悪」だというわけではない、ということです。即座に悪認定して、論破退治をしたがる論破クリーナーのかたもおりますが、私自身はそういったことは考えておりません。

 同時に重要なこととして、「論破=悪」の図式を持っていないからといって、あらゆる論破にニコニコしているわけでもありません。ムカっとすることもよくあります。まんまと感情的になることもあります。それはそれ、と考えていただけるとさいわいです。

 いちおう種類別にしてみました。

1【処世術(セルフプライドケア)としての論破】
(1-1)耳を貸さないための自己防衛的な論破――「あなたは正しくないので、私は話を聞かなくてよい」
(1-2)相手にわからせるための自己主張的な論破――「あなたは間違っている、私が正しい」

2【コミュニケーション(親しくない他者とのやり取り)としての論破】
(2-1)本音を釣りだすための尋問的な論破――「あなたは言い負けたから本音を隠さず明かしなさい」
(2-2)軍配をドライブにしてコミュニケーションするためのエンタメ的な論破――「はいあなたの負け、悔しかったらなんか言ってみなさい」

 共通しているのは「個人的な外交として効率が良い」ことです。もちろん相手を不快にしたり、相手から嫌われたりすることもありますが、相手の抱くであろう「快/不快」「好き/嫌い」「信/不信」にこだわらない人間であれば、論破はとても効率的なコミュニケーションアイテムなんですね。

 なぜなら「話し合うべきである(≒議論すべきである)」という多数派の文化(価値観)に乗りながら、ひとつも話し合わずにじぶんの理想的な結果が得られるからです。つまり、論破者において〈話し合っているけど折れなくてよい〉というのは、おそらく最大利益であろうということです。

 その狙いとして、(1)――処世術論破――は「じぶんの正しさを通して生きやすくする」ことです。もちろんそれが完璧な処世術かと問えば、だれだって完璧ではないと答えると思います。ただ、論破が最適なひともいるだろう、とは思います。特にネット空間では。

 そして、(2)――やりとり的論破――としては、新しい情報とか、より信頼できる情報とか、より本音に近い情報、厳密に言えば「本音」として扱ってよいというコンセンサスが得られる性質の情報、を狙っているでしょう。

 ここには「怒らせると本音を言うだろう」という経験則があるのかなと思います。もちろん本音というのは自他ともにわからないものなので、本音を言ったというコンセンサスをとれるシチュエーションに持っていくことが重視されているのでしょう。演出的な論破ですね。

 それと、(2-2)――軍配エンタメ的論破――としては、単に会話ベタがあがいた結果だと感じます。論破じゃないにしても、言い返しを期待しているコミュニケーション手法は、ほとんど会話が下手なだけだと思います。五歳児が大人のまえでわざとことばを言い間違えるのと似ているかもしれませんね。

 お笑いの「いじり」もそうですが、わざと不当性を生むことによって「ちょっと待てよ」「いやいやそれはね」「ちがうちがう訂正させて」という請求的なコミュニケーションを誘発することができます。

 

 まとめると、(1)はひきこもり屋の論破で、(2)は寂しがり屋の論破なのではないかという次第です。――といっても、あくまで私の印象にすぎませんので、ここから新しい見方に発展させてくださればと願います。以下では、なぜネット論破が怖いのかについて、思いつきの理由を当てはめてみます。

怖い理由1:「じぶんの価値観がおびやかされ、正しくなくなってしまうから」

 やや根本に寄れば〈理想的なコミュニケーションがしたい〉という欲求において、論破者だろうが共感者だろうが、みなおなじことをしていると思います。つまり、

理想的なコミュニケーションをするためには……

・効率を重視するべきだ
・自由を重視するべきだ
・和解(アウトリーチ)を重視するべきだ
・信用構築を重視するべきだ
・礼節(形式)を重視するべきだ
・テンポ感を重視するべきだ

などなど、いろいろな価値観があるはずです。論破が怖いということは、「信用構築」とか、「好いてもらう(気に入ってもらう)」とか、「お互いが快適になれるようにする」といった価値観がおびやかされるから怖いのです。

 ときどきこの恐怖が行き過ぎて「初対面で敬語使えないひとほんと消えてほしい」みたいなことになるひともいますが、これはじぶんの理想とする礼節重視コミュニケーションを絶対化してしまっているために生じる排除の感情だと思います。

 理想はそれぞれあるものなので、この段階で食い違うことはよくあることです。じぶんの信じているものがおびやかされるのは怖いですが、いろいろあるのだと知れるのもネットのよいところかもしれません。礼節とか、信用とか、関係構築といったことよりも、効率や軍配、じぶんルールの強制的な適用のほうを理想とするひともいます。

怖い理由2「恐れる基準が底上げされるから」

 ネットにいれば、銃で撃たれることはありません。エイズにもかかりません。インフルエンサーがいても、インフルエンザにはなりません。人込みで肩をぶつけてくるひともいないし、満員電車で足を踏んでくるひともいません。イノシシも出ません。クマも出ません。ヒアリにも出会いません。スズメバチにも刺されません。溺れません。火事や地震もありません。落雷もなければ、交通事故もありません。

 つまり、身の安全の射程が変わります。

 ネット論破と大地震だったらどっちがどれぐらい怖いか、という発想になれば、それは雲泥の差で火事だと思いますが、ネットでは大地震よりも論破にリアリティがあります。オンラインのリアリティとオフラインのリアリティは、思ったより明確に区別されています。

 なので、ネットで怖いものを順位づけすると、もしかしたら論破は上位にランクインするかもしれません。たとえば、

1位 ネット依存
2位 ネット詐欺(ウィルス)
3位 ネットストーカー
4位 ネットなりすまし
5位 ネットいじめ
6位 ネットリベンジポルノ(セクハラ)
7位 ネットさらし
8位 ネット炎上(誹謗中傷)

15位 ネット論破

みたいな感じになるかもしれません。かなり適当に作った格付けですが、言いたいことは、実生活で〈論破ごとき〉だったものが、ネットでは拡大されて〈恐るべきもの〉になっているかもしれません、ということです。

怖い理由3「仕返しが想像しにくく単純に不利だから」

 誹謗中傷や難癖は非常にムカつきますが、それが会社の上司からだったら、ある程度までは「脳内復讐」で済ませることもできます。

 一方で、ネットでのムカつきは自己解決がむずかしいので、黒い感情が蓄積されやすいと思います。その〈捌けてゆかないじぶんの黒い感情〉に恐怖を覚えるひともいるのではないでしょうか。

 これは原理的に不利な部分なのでしょうがないです。脳内で仕返しできればいいのですが、それができないので、空リプで呪い合うみたいなことが頻繁に起こってしまいます。相手の見えるところで呪詛をとなえないとスッキリしない、というのはつらい点です。

 

 論破は怖いかもしれませんが、突き詰めてゆけばじぶんもおなじようなことをしているのだと思います。「耳を貸さないための根拠探し」をするときだってあるし、「言い返しを期待して不当を生む」ことだってあります。おびえすぎず、目くじら立てすぎず、距離を保ちながら、イラッとしたらスッキリする方法を見つけておくのがよいかなと思いました。
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画像:IB Wira Dyatmika